【歴史】歴史上最も素晴らしい勘違い!『前編~ベルリンの壁建設~』
おばんです!ながさわです!
本日もご覧いただきありがとうございます☆
今日はある男性の勘違いから歴史が大きく動いた出来事について書いていきたいと思います😎
このエピソードは『歴史上最も素晴らしい勘違い』とも言われ、今日まで大きな影響を及ぼしています✨
第二次世界大戦後のドイツ
ヒトラー率いるナチスドイツは第二次世界大戦においてアメリカ、ソ連、ヨーロッパ諸国と対峙しました⚔
しかしながら、日本と同じく敗戦したドイツは、資本主義であるアメリカ・フランス・イギリスが統治する西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と、社会主義のソ連が統治する東ドイツ(ドイツ民主共和国)に分断されました🌩
更に、首都のベルリンに関しては、東ドイツ側にあるものの、要所であることから、ベルリンの中でも東西に分断され、図のような統治体制となりました🌍
西ベルリンが陸の孤島のような状態です🤓
この異様な状況はその後のドイツの歴史に大きな影響を及ぼすこととなるのです💦
東西格差
東と西に別れたドイツですが、経済システムの違いから全く別の運命をたどりました😗
西ドイツは西欧諸国の支援を受けて類まれな経済復興を遂げていきます👏
一方で東ドイツは、社会主義で経済が衰退し、徐々に東西の格差が如実に現れます🎈
また、東ドイツには秘密警察もおり、盗聴や密告などに怯えながらの生活を強いられました。
国が東西に分けられた当時は、東西ドイツの往来は可能でしたので、自由や、豊かな生活を求めて東ドイツから西ドイツへ亡命する人が続出しました🏃♀️
戦後から1961年までの間に東→西へ約350万人もの人が亡命したと言われています🕶
東ドイツにとっては、労働力が減少してしまうので由々しき事態です🎃
国民が自主的に残らないのであれば、強制的に残すしかない。
そう考えた東ドイツは衝撃的な政策を実行したのです、、、⚠
一夜にして築かれた壁
1961年8月13日、一夜にして突如かの有名な『ベルリンの壁』が築かれました⚙⚒
夜が明けたら突然石の壁が作られており、東西ベルリンの往来が不可能となったのです🧨
東ドイツの友人宅へ泊まっていた西ドイツ市民や、西ドイツで働いていた東ドイツ市民など、その夜に越境していた人々は家や家族を失うこととなりました。
このベルリンの壁によって、物理的にも東西が分断され、格差が悪化していくこととなりました、、。
経済格差の分かりやすい例が車です🚘
ドイツと言えば有名な自動車メーカーが沢山あります!
メルセデス・ベンツ、アウディ、フォルクスワーゲン、ポルシェ、BMWなどです🏎
今挙げたメーカーは皆、西ドイツの企業です😃
しかし、西ドイツ車と比べて性能やデザイン性に差がありすぎて、ベルリンの壁崩壊後には市場から淘汰されていったのでした🚫
と、いうことで前編はここまでです😝
戦勝国により東西が分断されたドイツ、その象徴がベルリンの壁です🌇
その後、このベルリンの壁に関して、歴史上最も素晴らしい勘違いが起きます!
詳細はまた明日❗乞うご期待👍
今日も明日も充実した日々を!
それでは、また!