【歴史】歴史上最も素晴らしい勘違い!『後編~勘違いでぶっ壊れた壁~』
おばんです!ながさわです!
本日もご覧いただきありがとうございます☆
昨日の記事では東西冷戦やドイツ分断の象徴として、ベルリンの壁が建設されたことをお話ししました😃
今日はその続きと、どんな勘違いが起きたのかお話していきます🖐
東ドイツ国内の状況
東ドイツ国内は困窮が続くと同時に、ソ連をはじめとする、社会主義勢力は経済的に限界が近づいていきました🎈
ハンガリーの民主化など、社会主義陣営の勢力が弱まる中、東ドイツ国内では、『月曜デモ』と呼ばれる反政府デモが活発化します🧨
初めは数千人規模でしたが、徐々に増え続け50万人の大規模になりました👊
政府はこのデモを抑えることができず、トップであるホーネッカーは退陣にまで追い込まれます!
国外旅行の解禁案
政府は規制緩和として、「明日から出国許可証を申請すれば誰でも国外旅行へ行ける」という政令を発することにしました🚌
一見素晴らしい政令のように思えますが、意図はデモを率いる過激派を海外に追い出すことにあり、東西を統合する気など専らなかったといいます😥
したがって、政府はベルリンの壁を開放する気など全くなかったのです⛔
素晴らしい勘違い
この政令を発表する記者会見にて、歴史的な出来事が起きます😉
1981年11月9日、シャボフスキー報道官が記者会見に臨みました👨
しかし、この政令は混乱の中、急ピッチで作られた点や、シャボフスキーはタバコを吸いに行っていて話を聞いていなかった点から、彼は全く政令の内容を理解していませんでした💦
そもそも、この会見にて情報解禁する予定ではなかったのに、中身を間違えたうえで誤って発表してしまいます(笑)
彼は、「旅行許可を得れば、誰でも国外へ行けるようになる(=条件付き)」という内容をの政令を、「全ての市民がベルリンの壁を含むすべての国境から出国が可能になる(=条件なし)」と発表したのです😂
更に、記者から「それはいつからですか?」と聞かれ、「明日からの適用」になるにも関わらず、「私の認識では、直ちに」と書類に目に入った関係のない文言を読んで発表してしまいました🎃
大量の市民がベルリンの壁に押し寄せ、検問所の開放を迫ります🎊
あまりの数に警備隊も制圧は諦め、建設から28年後、遂にベルリンの壁が崩壊しました✨
たった1人の男性の勘違いとその場しのぎの答弁で、歴史が大きく動いたのです💨
シャボフスキーは仕事としてはマズいことをしましたが、人としては非常に大きな功績を残しました(ただのミスですが)
ちなみに、ドイツの元首相メルケル氏もこの時東ドイツから西ドイツへ足を踏み入れた群衆の1人だったそうです😲
もし今も東西が分断されたままだったとしたら、ドイツは現在のようにヨーロッパ1位のGDPを誇る経済大国にはなっていなかったかもしれません。🥇
歴史は全ての出来事が連なって今があるので学んでみると案外面白いですね😊
今日も明日も充実した日々を!
それでは、また!